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でんがくおじさんの 王子田楽ふっこうものがたり
田楽のふっこう 表紙写真
小学生のためのページ、でんがくのふっこう表紙写真=でんがくの、ふえ(笛)びと(人)たち。小学生のときおどって、そのあと、笛をふく 人になったお兄さんやお姉さんたち
田楽のふっこう1
でんがくのふっこうものがたり。みなさんから見て、もう、だいぶ、おじいさんになった私の、ずっと前のことを お話します。絵=江戸時代にえがかれた、ぶたいで でんがくをおどっている絵
田楽のふっこう2

王子田楽との出会い

昭和57年、おじさんは、ちょっとしたことがきっかけでおじさんの住むここ 東京王子の町の王子神社(じんじゃ)に、むかし、とってもゆうめいだった王子田楽(おうじでんがく) というおどりがあったことを知りました。そのお祭(まつ)りが、すごいにぎわいだったことも知りました。 このことを知って、おじさんは、むかしのお祭りを知っているおとしよりの人をたずねて、 お話しをきいて楽しもうと、ちょっとゆうき(勇気)をだしてあちこちたずねてまわるようになったのでした。 そうした時、ある81さいのおじいさんが、とても良くお祭りのことを知っていたので王子神社にむかしあった という王子田楽のことをおたずねしたところ、すこしえがおになりながらその音楽のことを 「ヒーヒロ、ヒャーヒャーっていうんだよ」と話してくれたのでした。写真= むかしのおどりて。
田楽のふっこう3
おじさんは、もうとってもびっくりしてしまいました。 なぜなら、おじさんはそれまで、そういう曲(きょく)はこの王子の町にはあったはずがないと、 かってに思っていたそういうしゅるいのものだったからでした。 まるで青い青い天からやわらかくゆらゆらおりてくるようなそんなゆめのような曲の一ふしでした!!。こんなすばらしい曲をもった王子田楽というものをどうしてだーれもふっこうしないままにしておくんだろう。おじさんはとってもざんねんでかなしくなりました。 ちょっとしらべてみると、「まぼろしの王子田楽」と言われて、もうだれにもふっこうはぜったいできないざんねんなこととされていました。でも、おじさんはなんとか、このおどりをもとのようにふっこうして、みんなとたの しみあいたいと思うようになったのでした。
田楽のふっこう4
それと、ふっこうするには、きょうりょくしてもらうたくさんの人びとにあつまっていただかなければなりません。いっしょうけんめいさがしたら、むかしこどものとき王子田楽をじっさいにおどったけいけんのある人や、王子田楽でふえをふいたことがある人、また、むかしのお祭りにさんかしたことのある人などがつぎつぎに見つかったのです。わけを話すと、この人たちが「すごく良いことだからおてつだいしましょう」と言ってふっこうのなかまになってくれることになりました。もう、とってもうれしかったです。 それと、おじさんがかんけいしていたボーイスカウトのお父さんなかまとか、きんじょの人とかもなかまになってくれました。さてそこで、王子神社の(宮司)さん [→神社にすんで神社をまもっている人] にお話ししてきょうりょくしていただかなければなりません。お話しすると「たいへんありがたいことです。ぜひ、いっしょにやりましょう」とちからづよく言っていただきました。元気もりもり、やる気がわんさか出てきました。 写真=王子神社と ぐうじさん
田楽のふっこう5
それからつぎつぎ、いろいろなことにとりくんだわけですが、一ばんどりょくしたのはふえのふきかたをおぼえることでした。そのため、おじさんは、よこぶえをしっかりおしえてもらえるふえの先生にでしいり[弟子入り]して、ふえのことを正しくおそわりました。そのうえで、きょうりょくしてもらえる小、中、高、大学生、の人たちをなんとかさがし集めてきました。おじさんの生徒(せいと)さんになってもらったわけです。 この、おじさんの生徒さんたちと、なかまのおとなの人たちとで、力をあわせて田楽をふっこうするためのまかまといういみで "おうじでんがくしゅう”(王子田楽衆)という名の会を作ったのでした。写真=1・ササラをもつ子ら。2・でんがくおじさんの家でのふえのおけいこ。3・おうじでんがくしゅう。
田楽のふっこう6
みかしこどもの時におどった人できょうりょくしてくださる人は5人みつかりました。 とくに、わたなべこーきちさん(その時62さい)、 たかぎひろしさんその時58さい)、たかぎあきらさんその時55さい)は、おじさんにたくさんのことを おしえてくれたり、きょうりょくの中心(中心)となってくれました。ほりうちつねはるさん(その時65さい) は、とくに、よこぶえ(横笛)音楽をおしえてくださいました。でも、おどりがどんなだったかを知ることはたいへんだした。さいしょ、むかしおどった人たちに、ひとりひとりきいたのですがなかなか思い出してもらえません。王子田楽はおじさんがふっこうととりくむこの年より40年も前の昭和18年をさいごのお祭りとして、やまってしまっていたのでした。そのころのじだいは、今のようにろくおん(録音)もビデオもなかったのでしたからしかたありません。しゃしんもすこししかのこっていません。でも、とてもラッキーなことに、 むかしのお祭りのことをたくさん書いたノートを一人のおばあさんがもってきてくれたのです。そこにはなんと田楽のおどりかたがかいてあったのです!!。 そこでかんがえたのは、みんなにあつまってもらって、このノートを見ながらむかしおどったときのようにならんでおどってみてもらうことにしました。するとどうでしょう。いままでがうそのようにつぎからつぎへと、おどりをおもいだしてくれたのです。おじいさんたちがワイワイ、ガヤガヤ、それはそれはたのしくおどりはじめました。
田楽のふっこう7
こうして、おじさんにもだいたいおどりがわかってきたのでした。また、ふえをふいたことのある人にどんなふうにふいていたのかもおそわりました。 むかしのことを書いてあるものをたくさん持ってきてくれる人がいて、それでしらべてけんきゅうもできました。作らなければならないものをたくさんまず自分で作ってみてから、それを人におしえて作ってもらいなどもしました。なかまのひとたちは、それはそれはいっしょうけんめいに、みんなできょうりょくしあって作ってくれました。 ふっこうととりくんで一ばんのくろうは、お金がたりないことでした。ちゃんとしたものをそろえようとしたら、いくらお金があってもたりません。ふえだってとても高いのです。それで、ふえをてづくり(手作り)することにしました。一本はほんものを買ってきて、まねして竹にあなをあけて作りました。なん本もしっぱいしながら作りました。じょうずに作れないので竹のふしがついたままのかっこわるいものでしたが、それでもなり(鳴り)ました。やったーと、ほんとにうれしかったです。生徒さんたち一人一人に作ってあげて、それでけいこしたのです。 絵=王子神社えまきの中のでんがくの絵。
田楽のふっこう8
ササラというむかしの楽器は大工(だいく)さんにおねがいして木と竹を正しくかこう(加工)してもらって、はくぶつかんでしらべたとおりにあんでつなげて作りました。田楽たいこというものと、つづみというものは、どうのところだけ大工(だいく)さんに作ってもらって、それにべにや板を丸く切ったのをつけ、色をぬってほんものみたいにしあげました。花がさは、なんと、うん良く、ゆうめいなはくぶつかんに、むかしのままほぞんされてあったのでした。それで、良くしらべることができました。このこともラッキーだったです。でも、ボロボロだったのでひとつひとつの花びらがどうできているかわからなかったので、じぶんでなんどもな んども作ってみて、しあげていきました。写真=1・むかしの花がさ、はくぶつかんにあった。2・でんがくおじさんの手づくりのがっき・ササラ、ふえ、つづみ、でんがくたいこ。3・でんがくおじさんが昔のににせてはじめて作った花がさ。
田楽のふっこう9
ぼたんの花のばあいは、ほんとうの木を買ってきて、花がさいたのと自分の作ったのとならべて見ておなじように見えるかどうか、なんてためした時は、さすがに、かぞくはあきれていました。 ようやく花がさがふくげんできたのが4月。このころには曲もおどりもだいたいわかってきました。みんなできょうりょくしてものすごいはやさだったとおもいます。花がさがぜんぶできたときは心がわくわくしてきました。夜はあまりねないでがんばったのです。こどもたちも、ふえの人たちも夜けいこしました。 写真=夜道ばたでおけいこ。
田楽のふっこう10
ぐうじさんは、神社のかんけいの人びとにお話して、でんがくしゅう(田楽衆)がお祭りの時、むかしのようなおどりをみんなに見せられるよう、いろいろなじゅんびをはじめてくださいました。 たとえば、おどりのためのまにあわせのいしょうをよういしてくださったり、みんなにせんでんしてくださったりです。 写真=(まにあわせのいしょう をつけて,左から、坂場まさたけくん、冨田こうぞうくん、八木こうじくん,坂場まさやすくん、根岸くにとしくん、高木はるもとくん、坂本てるくん、倉上まつおくん、嶋田ひろゆきくん、坂場まさかずくん)。写真=はじめてふっこうしたおどりにとりくんだ子どもたち。ほんとうは8人でおどるものだけど、れんしゅうにさんかした10人ぜんいんでおどった。
田楽のふっこう 項「画像S58.8.7拝殿内田楽試舞」
田楽のふっこう・項「画像S58.8.7拝殿内田楽試舞」
田楽のふっこう11
おどりはみごとふくげんできました。長い長いはくしゅ(拍手)がおきて、かんしんしてなみだをながす人もいました。ふえをふいたなかま、おどったこどもたち、せわをしてくれたなかまの人たちや、みんなの家の人たち、ぐうじさんをはじめ王子神社の人たち、だれもがはれやかなきぶんでした。こうして、おどりはしんぶんにも出るほどひょうばんになりました。写真=王子神社の中でのはじめてのおどり。
田楽のふっこう 項「たいへんなことにとりくむ」
項「たいへんなことにとりくむ」
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でも、これはまだまだ、ふっこうへのはじまりでした。お祭りとしてのかんぜんなふっこうのため、それからしなければならないことはたくさんありました。つまり、でんがくしき(田楽式)という、さまざまなことをふっこうしなければなりません。さあ、またいろいろな物づくりです。 田楽のげいのうにつかう大きな「つまおれがさ」というかさも、じぶんで作りました。 王子田楽では武者(むしゃ)は2メートルもある刀を一人が七本もさします。二人なので14本。竹ざをで作りました。それになかまの人がふくろを14まい作ってくれたので、かぶせて、あの中には刀が入っているんだなと見せかけたのです。なにがたりない、かにがたりないとあきらめるのではなくて、みんなでくふうして、ふっこうのねがいがかなうよう、どりょくしたのです。写真=ねぎしいさおさん、たかぎひろしさん、たかぎしげる(筆名・俊宏)さん
田楽のふっこう13
また、なるべく多くの人びとに、王子田楽のすばらしかったことや, ふっこうすることのだいじさについての話しをし、しっかりきいてもらうこともおじさんにとってたいせつなしごとでした。 自分にできなければ王子田楽はもう二度と生きかえることができないじゃないか、なんて思いつめて、ひっしにとりくみました。 おじさんのなかまの人たちも、おじさんとおなじ考えだったことは、いっしょにやっていてわかりました。神社のぐうじ(宮司)さんもやはりおなじ思いだったのでしょう。ぐうじさんがいっしょうけんめいどりょくされたけっか、30の町会がまとまって、「王子神社でんがくまい・ほぞんきょうさんかい(王子神社田楽舞保存協賛会)」という、おじさんたちの「おうじでんがくしゅう(王子田楽衆)」をおうえんする会を作っておうえんしてくれることになったのでした。とくに、王子神社があるところの町会が、いっしょうけんめいおうえんしてくれました。昭和60年8月のおまつりに、みごとみんなのちからがあつまって、かっこのわるいむしゃぎょうれつ(武者行列)だったけど、やりとげたことで、「これはたしかにふっこうできる」と人びとにみとめられるようになっていきました。とりくみはじめてからほんとうにみじかいきかんの内にできたのは、きせきのようでした。  みんなの心が一つになると、とても大きなちからがだせるのだとかんじました。  それからは毎年、8月のおまつりに王子田楽は神社のにわでおこなわれています。
田楽のふっこう14
 昭和62年4月、北区は、おじさんたちがふっこうした王子田楽を、むけいみんぞくぶんかざい(無形民俗文化財)にきめてくれました。 いつもは形(かたち)がないけれど、みんなでちからをあわせてふえをふいたりおどったりするときにできる形がとてもすばらしく、ほかの人たちにはまねができない、というものにあたえられるめいよな名まえです。 こうして、今あるようなりっぱなどうぐや、りっぱないしょう(衣装⇒きるもののこと)になってゆきました。 写真=1・たいこをたたく、でんがくおじさん。2・ひらがかさ(平笠)とササラ。3・シマキむしゃ(武者)
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むかしのおどりをおしえてくれた人や、いしょうの下着(したぎ)をたくさん作ってくれた人や、いろいろのおてつだいをしてくれる人たちは,たいせつななかまです。写真=[左から、おじさん、北浦つねおさん、 宮本みちのりさん、高木ひろしさん]
地元の王子神社、王子稲荷神社、両社の歴史、伝承文化、
芸能についての書き込みがあります。

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