王子田楽(でんがく)は東京都北区王子神社の夏の祭礼に奉納される 形式美に満ちた田楽躍り。 中世の面影を今に伝える芸能で東京都北区指定無形民俗文化財。 太鼓と笛の音に合わせて「シャラリ」「シャラリ」とビンザサラを打ち鳴らしながら 鎧武者たちに護られた8人の舞童が優雅に躍ると、見ている人々はいつしか中世の時代へタイムスリップ。 舞童らは赤い魔除けの垂れ紙のある花笠をかぶっている。 ----- 舞童らは赤い魔除けの垂れ紙のある花笠をかぶっている。 ----- 舞童らは赤い魔除けの垂れ紙のある花笠をかぶっている。 ----- 舞童らは赤い魔除けの垂れ紙のある花笠をかぶっている。 ----- 舞童らは赤い魔除けの垂れ紙のある花笠をかぶっている。 ----- 中世の地方中心地「王子」 (詳しくは下の方の[王子田楽の起源]でご覧下さい。) に花開いた貴重な伝統芸能です。
王子田楽, は戦前まで「王子の喧嘩(けんか)祭り」として知られていました。 田楽の演舞の途中で8基の花笠が観衆 の頭上に投げられ、それを縁起物として神社の境内いっぱいにわたって争奪が行われ有名でした。 昭和18年を最後として、戦争のために中断廃絶してしまいましたが、およそ40年後の昭和58年8月に復興を果たしました。 復興後の祭礼では、田楽の芸能を大切にするため、花笠奪いは行わないようになりました。
[王子田楽の特徴] 王子田楽は、元亨2年(1322)の中秋に始められたとされます。王子田楽の花笠の周りには魔除けの赤い紙が下げて あります。 躍り十ニ番組の中には農耕を思わせるものはありません。平安時代の御霊会(ごりょうえ)に行なわれた田楽の系統と考えられます。 主役は神童としての「子魔帰(こまがえし)」で、最後の番組名も同名。警護の鎧武者二名は「四魔帰(シマキ)」武者とよばれ、 各々長大な刀を七本づつ腰につけています。。 そしてこの王子神社のお祭り自体、古来より「槍祭り」と呼ばれ、江戸時代に なって第3代将軍家光の乳母・春日の局(つぼね)が 槍を奉納したことでも有名でした。 一方また、王子神社の別当寺だった金輪寺(きんりんじ)では、参詣人に「五香散(ごこうさん)」という生薬を出していました。 このように、王子田楽は、魔事災難除け、病魔の退散を念じて行われたと考えられ、稲の祭りの系統では無いことがわかります。 (すぐそばにある兄弟社としての王子稲荷神社は、平安時代から関東(東国三十三ケ国)いなりの総社として、五穀豊穣・商売繁盛・ 学芸成就の信仰を古来よりあつめて来て有名でした。)
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